金沢みらい茶会|岡 能久さん|EXHIBITION2〜茶の湯という営み〜
株式会社 能作 代表取締役会長
岡 能久さん(おか よしひさ)
裏千家のお家元の若宗匠時代ですが、平成九年に白山比咩神社で行われた献茶式の添釜で、大徳寺一七〇世・清厳和尚の筆によるお軸「日々是好日」を掛けさせていただいたところ、お家元が大変喜ばれまして、著書『小川日記 某月某日』にもその感動を記されていらっしゃいます。
このお軸、実は、明治の元勲で古美術を愛好した井上馨と茶人の高橋箒庵ら一行が金沢の旧家を訪れ、お道具を観て周った際に、祖父の岡 伊作が披露したものなのです。その記録が、戦前の五大新聞の一つである時事新報に「金沢闡秘録」として掲載されたことは、金沢の茶の湯に関心のある方ならよくご存じかと思います。高橋箒庵はその後、再び当家を訪れたようで、その時に帯同していた数寄者の根津嘉一郎とともに、貴重な道具を見せてもらったお礼にと『山乃尾』での宴に祖父を招いてくれたようです。当時の祖父に宛てた手紙と会記が出てきたので、お世話になっている『谷庄』さんに相談したところ、根津美術館の館長である根津公一さんとの縁を取り持ってくださいました。根津さんは先の根津嘉一郎のお孫さんで、しかも、わたしが通っていた武蔵大学の理事長でもあられます。いろんなご縁を感じずにはいられませんでした。百年以上の時を経て、祖父の時代とつながるような思いです。このような楽しみは茶の湯ならではだと思います。
わたし自身が茶の湯に興味を持ったのは、大学生の頃です。ちょうど学生運動が盛んでもあったので、最初は「落ち着いた雰囲気を味わいたいな」というような軽い気持ちからでした。今では漆器店を営む者として、漆器が使われる場を学ぶ意味でも、茶の湯は特別な存在です。お茶事で謡の一つも披露できればと、長い間、中断していた謡も五十歳から再び習い始めました。茶の湯から生活に楽しみが広がっていくのを実感しています。
秀吉の時代には茶道具が政治に使われたりもしましたし、戦前の茶の湯はサロンとしての機能も持っていました。戦後には主に子女教育の目的で発展し、時代によって茶の湯が親しまれる形は様々に変わってきています。わたしとしては、戦前の「サロンとしての茶の湯」を再現できればと思っています。
また数寄者としての立場からも、金沢という街にとって「茶道文化」は大切なキーワードだと思います。道具が使われる場として歴代の藩主が力を注いだ金沢の茶の湯は、金沢および石川の工芸を守り、伝承する上でも大切なものです。