金沢みらい茶会|奈良宗久さん|EXHIBITION2〜茶の湯という営み〜
奈良 宗久さん(なら そうきゅう)
先頃、ドイツのベルリン中心部に建設された複合施設『フンボルトフォーラム』の茶室を監修しました。陶芸家の中村卓夫さん、加賀蒔絵の西村松逸さん、金属造形作家の坂井直樹さん、浦建築研究所の浦淳さんという金沢の面々によって実現しました。
戦争体験者である裏千家・鵬雲斎大宗匠様は戦地へ旅立つ戦友たちにお茶を振るまい、送り出したご経験から、ハワイを起点にこれまでに六十カ国以上を行脚し、「一碗からピースフルネスを」という概念を提唱し続けてこられました。こうした礎があってこそ、金沢のみなさんとこの茶室を実現することができ、大変感慨深いです。
海外の方は茶道の精神性に魅了されるようです。点前はまるで儀式のようだとも言われます。ものを清めたり、飲み物を分かち合うようなことは、元よりキリスト教の中にも共通する要素があると言われています。ただ、茶道のように美術品を用いて儀式的なことをするということは、世界中で宗教的なこと以外にはあまり見られず、非常に珍しいことのようです。
海外の方では禅からお茶の世界に興味を持つ方も多いですが、大宗匠様は金沢ゆかりの仏教哲学者、鈴木大拙先生ともご縁があります。
「茶禅同一味」という言葉があります。茶の湯のデザイン性や無駄なものをそぎ落とした佗び茶の世界は、禅と通じるものがあります。大拙先生も著書で茶の湯の精神性と禅の共通項について説かれています。このように、金沢には世界に通用する文化があり、金沢の茶の湯もまたそうであると言えるでしょう。
日本人において茶の湯は、海外の方以上に身近なもののはずですが、日本人のどれだけの方が茶の湯に親しみ、茶の湯を通じて工芸に触れ、お道具を求め、使っているでしょうか。最近は、外国の方のほうが茶の湯や工芸について、一歩踏み込んで学ぼうとされているように感じます。
茶の湯はもちろん、楽しいことも大事です。しかし、後世に残るかどうかというのは、やはり精神性がそこにあるかどうかが左右するのではないでしょうか。精神性を重んじれば、それは自ずと「道」になります。「型をひたすら身につけて、そこに血を注ぐと形になる」とは鵬雲斎大宗匠様のお言葉です。
「自然のなかに自分が生かされている」ということを再認識していくことは、これからの時代においてもとても重要だと思います。新型コロナウイルスの流行で生活の変化を余儀なくされ、そう気づいた方も多いと思いますが、また元の暮らしに戻れば、忘れられるでしょう。SDGsが叫ばれる昨今ですが、茶の湯はそもそもSDGsを達成しているものです。自分は自然に生かされている――つまり、いつの時代も自然は繰り返し、人間はただそこにいるだけなのです。そういった自然観と、それによって人間性を取り戻すことが茶道という精神性なのではないでしょうか。
京都では家元に仕える身としての使命を、そして、金沢では、裏千家四代・仙叟宗室居士の屋敷跡で、利休居士の茶を金沢に伝えるという仙叟居士の使命を受け継ぎ、全うしたいと思っています。また、もともと陶芸の世界にいましたから、茶の湯には欠かせない当地の工芸についても、同様に伝えていかなければと思っています。
お茶席で人と人との間に介在するのがお道具であり、工芸です。金沢という町で、工芸だけが一人歩きしてきたわけではありません。何もないところから工芸は生まれないし、続くこともありません。藩主の政策、工芸品の制作にふさわしい気候、茶の湯、能など、それらすべてが相まって、今日まで工芸が残ってきました。工芸とは飾るものではなく、使うものであることを忘れてはなりません。使って初めて「工芸」になる。工芸の歴史には茶の湯の存在も作用しています。
また、そこには、加賀藩のプライド、矜持の念があります。わたし自身も作り手からスタートしていますから、よくわかるつもりです。温故知新、あるいは、誰にも真似のできないものを作るということは、父・大樋陶冶斎の口癖でもありました。加賀藩の方はきっと昔から、そういう意識を持ってこられたんじゃないでしょうか。とにかく、いいものを作らなければならないという気持ちを。
そういった点でも、東京、京都に決して負けないという前田家の矜持に共感します。金沢には前田家の家風によって育まれた茶風があり、それを大切にする作り手の方も多いと思います。
金沢の茶風というと、たとえば、雪国であることから生まれた「無骨さ」。京風でも江戸風でもなく、雅でも粋でもなく、金沢ならではの素朴さがあるように思います。
加賀藩の文化を作るという藩主に従って、藩政期よりいろんな人たちがここで茶事に親しんできました。金沢が四十万人規模の都市となった現代も、お城の周りには藩政期から多くのものが残っています。藩主が変わらなかったという土地は少なく、明治まで前田家が治めていたというのは、当地に茶の湯の豊かさを培った大きな要素なのではないでしょうか。
また、四季がはっきりしているというのも大きいと思います。湿気が多いことは当地の漆文化の発展にも功を奏しました。茶道具の工芸は調和が何より大事です。畳の上で、それぞれを刺激せず、調和して点在している。それが「お茶の工芸」というものです。大きさや色合いも大事です。「和敬清寂」はそこに集う人に対して語られることの多い言葉ですが、お茶の工芸の原点でもあると思います。
「楽の中に苦あり、苦の中に楽あり」――茶の湯は規制されたなかで楽しむべきということを御家元様はよくおっしゃられます。型の連続を経て、応用、つまり「はたらき」が出てくる。「はたらき」のなかに自分の楽しみを求めていくことが大事だと思います。
歴史があっての「今」です。工芸が飾るものだけにならず、茶の湯と工芸の未来にそれぞれの精神性が受け継がれていくことを願います。