金沢みらい茶会|谷村 庄市さん|EXHIBITION2〜茶の湯という営み〜
茶道古美術 株式会社谷庄 相談役
谷村 庄市さん(たにむら しょういち)
『谷庄』では桃山時代から江戸初期のお道具を中心に扱っています。三百年、四百年もの時代を乗り越えて無事にお道具が残っていることのすばらしさを次代に伝えていくことが、わたしたちの使命だと思っています。
そうした歴史あるお道具は美術館にもたくさん展示されていますよね。安全に、湿度管理も徹底されていますが、お道具はオブジェではなく、使ってこそ生きるものです。どんなにいいものも、どんなに丁寧に管理されていても、お道具は、使わなければその魅力を十分に発揮しません。美術館の中でもそれを理解されていらっしゃるところは、茶会をされたりして実際にお使いになられています。
明治維新から明治の終わりにかけては、大都市から金沢にいいお道具がたくさん流れてきました。旦那衆、白足袋族、番長族と呼ばれた人たちが茶道文化の中心となった時代には、古美術愛好家としても知られた元勲・井上馨と、茶人であり評論家の高橋箒庵らが金沢の名家を訪れ、何日もかけてお道具を見て周ったことが知られます。そのくらいに、当時の金沢にはたくさんのすばらしいお道具があったということです。
昭和三十年代から四十年代にかけては繊維産業が盛んになりましたが、だんだんと、いいお道具を持っていてもお茶事をしなくなっていきました。経済のスピードがどんどん速くなって、何時間もかけてお茶事をしっかり楽しむゆとりがなくなってきたのでしょう。現代はさらにその傾向が強まっていますよね。
利休の時代から、茶の湯は公家や武家の男性がたしなむものでした。つまり、本来は男性のものだったのです。ある時代には実業家がその中心となっていったわけですが、その数も減っているのが現実です。お茶の楽しみを知ると、ものの見方が変わります。それはきっと事業をなさる方にとっても、いろんなことに活かせると思うのですが。
『谷庄』では年末に、主に男性のお客様を中心にお茶事を催しています。お客様にはお道具も実際に手にしていただいて、茶道古美術品を道具として使うということを楽しんでいただく機会としています。
東京の店でも例年、年始に一週間ほど金沢から料理の材料を送って、手料理による初釜をしていました。自分たちだけでおもてなしをするもので、わたしは先代から引き継ぎ、二十七年間続けましたが、今は社長にその役割を引き継ぎました。寒い時期ですので温まっていただくためにすっぽんの椀をお出ししておりまして、名物としてとても喜ばれました。
炭点前から懐石、濃茶、お薄、これらすべてを楽しむお茶事こそが茶の湯の本来の形ですが、亭主としてお客様をお迎えしてこそ、その醍醐味がわかるというものです。
亭主ともなればお花の用意に路地の水打ちなど、大変細やかな準備が必要ですし、いつでも相手の心を慮って対応しなければなりません。それを知ってこそ、自身が招かれた時の感動があります。
この世知辛い時代に人間らしい精神的な満足感を得られる場として、茶の湯のすばらしさをもっと多くの人に知ってもらいたいですね。