金沢みらい茶会|吉田 扶見子さん|EXHIBITION2〜茶の湯という営み〜
高砂屋 女将
吉田 扶見子さん(よしだ ふみこ)
祖父がもともと骨董好きでして、いろんな作家さんとも交流がありました。ある日、祖父が親しくしていた小松の九谷焼の作家さんから野島宗禎先生を紹介していただき、そのまま入門しました。まだ中学生でしたので、先生が「慣れるまでいつでもいらっしゃい」とおっしゃってくださって、お言葉に甘えて週に二回も、学校帰りにセーラー服で通いました。お稽古には、すでにお弟子さんをとっておられる先生方もたくさんいらっしゃいましたので、みなさんの真似をすることによっても学ぶことができました。お稽古で先生と二人になる時間も多く、いろんなお話をうかがいました。いま、目を瞑っても、夕暮れ時に先生と過ごした茶室の光景がすぐに浮かびます。
野島先生には茶筅やお棗を置く場所をよく直されました。当時はあまりピンときていなかったですが、いま思えば、置くべきところというものがちゃんとあって、そこにあることが一番、理にかなっていて美しいということがわかります。そういった基本の「き」を教えてくださいました。
また、先生は「道・学・実」についてよくお話されました。「実」は毎週のお稽古のことを意味します。掛け軸を読んだり、お道具の由緒などについての知識のことを「学」とし、それを積み重ねたのちに「道」に至る、と。そういうことを訥々と教えてくださいました。
いろんな経験もさせていただきました。大乗寺で一泊して、朝に座禅をして、それから庭で野点をしたり、弥陀ヶ原で野点をしたことも懐かしいです。
きちんとしていれば、どんな場所でも、どんな時でも物怖じする必要はないということも、先生は教えてくださいました。ある方からご縁をいただいて光悦会を楽しませていただいたことも、とてもありがたいことでした。先生の教えがあってこそ、楽しむことができたと思っています。
また、ずいぶん昔は月釜が金沢市内のいろんなところで行われていましたが、小将町の北村さんの月釜に招かれたときに、前礼、後礼を筆で書かせていただきました。そういったお作法も野島先生に教えていただきました。
出産や、仕事が忙しくなったこともあり、一時、お稽古から遠のいてしまったのですが、野島先生は今もずっと特別な存在です。平成七年に石川県文化功労賞を受賞された時、受賞パーティーにお招きいただいて、先生がご挨拶なさったときには涙が止まりませんでした。それくらいに先生がわたしにとって大切な存在なんだと、そのときに気づいたのです。心に決めた先生に、お茶だけでなく、人格まで学ばせていただいたことを心からうれしく思っています。
お茶席にお菓子は欠かせませんが、お菓子もまた、季節や古典文学、和歌などの日本文化を総合的に表現しています。金沢は宮中文化と江戸文化、武家文化がうまく醸造されている街。伝統工芸も身近にありますし、こんなに贅沢な街はほかにはないと思います。お菓子やお道具の銘を古典と結びつけることで、互いに心を通わせるお茶席での喜びは、香道にも通じると思います。
お茶のおかげで香道にめぐりあいました。香のあるところに茶があり、茶のあるところに香がありますから、自然と香道に導かれていきました。お香のお稽古の後には、お互いにお茶を点てあう楽しみもあります。基礎にお茶があったから、お香も楽しめるのだと思います。